日本には「我慢することは美徳」という考え方が昔からあります。
「若いころの苦労は買ってでもしろ」という言葉もあるぐらいです。
苦労したり、我慢することで精神力が鍛えられて、成功を勝ち取る、幸せをつかみ取ると思われているからです。
今はだいぶん、我慢とか苦労してまで生きるという考え方が薄れてはきていますが、スピリチュアル的にみてこれはどうもおかしな考えです。
学生時代に我慢・苦労したことで何か得られたことはあったのか
学生時代は特に、我慢や苦労が多く、理不尽なことをやらされたという嫌な思い出が誰にでもあると思います。
私が今でも覚えているのが…
・25mのプールを泳げなかったら放課後残されて泳げるようになるまで泳がされた
・グロい戦争映画がものすごく苦手なのに強制的に見せられて感想を書かないといけなかった
・漢字を鬼のように毎日ノート3ページぎっしり書かされた
・炎天下の中、毎日テントもなく何時間も真っ黒になるまで体育祭の練習をさせられた
とにかく生徒の意見は無視されて運も寸もなく強制的にさせられることが多かったですね。
残念ながら、楽しい思い出よりもこういう嫌だった記憶が大人になった今でも残っています(;^_^A
学生時代に我慢、苦労をしてきたことで、今なにかの役立っているのか?というと、何一つ役立っていません。
むしろ、当時に我慢と苦労の反動で大人になって自由を異常に求めました。
今の若者もそうじゃないかなって思うのです。
集団生活におけるある程度の我慢は確かに大事かもしれませんが、その大半が行き過ぎで、無駄なことばかりを教わってきたような気がします。
日本の学校教育は海外と比較してかなり遅れていて、間違った方向にあるのに、誰も異論を唱えず抜本的な改善をしないのが理解できません。
私は自分の子供に学校から理不尽な我慢や苦労を強いられたくないので、適当に休ませたりします。
我慢と苦労はスピリチュアル的にどんな意味があるのか
我慢と苦労は美徳でもなんでもありません。
スピリチュアル的には、自分らしさがなくなる、ありのままの自分を捨てることになるのです。
やりたいことがあっても、「ここは我慢すべきだ」と自分に言い聞かせてしまう。
そういったことに縛られて生きるのは、当然自分らしさが消されている状態です。
それが幸せにつながると思いますか?
我慢や苦労の先に、幸せは決して見えてこないのです。
例えば、仕事を掛け持ちして苦労しながら何年もがむしゃらに働いている人がいます。
こういう苦労の延長にはお金持ちになって幸せになる未来はないのです。
また、夫のモラハラや暴力を受けている妻は離婚したくても子供のためだと思って我慢したりします。
我慢したところで家族の幸せはぜったいにありません。
むしろ、母親の苦労や我慢を見ている子供に悪影響です。
子供というのは、母親の笑顔をみて安心して暮らしたいのです。
ですから、我慢なんかせずに早く夫から離れて子供と自分の幸せだけを求めて生きるほうが賢いのです。
我慢や苦労しないのは単なる怠惰ではない
日本人は特に我慢できない、苦労しないのが怠惰のように思えるかもしれません。
ですが、嫌だと思うことは潜在意識が強く思っている正直な気持ちなので、断ち切って逃げていいのです。
また、我慢や苦労はどんなに隠しとおそうとしても、その生きざまというのは「顔」にはっきり出ますから、人がみたときに「苦労が多いのね」と思われますよ。
しかもそういう人は実年齢よりもずっと老けて見えるものです。
ですので、自分の直感を信じて、今このタイミングだと思ったときに嫌なことは断ち切って排除するといいです。
そのほうが運気もあがってきますし、覚悟を決めたときから転機が訪れますよ^^
人生は一回きりです。
我慢とか苦労とかで無駄な時間を過ごさないように、自分らしく活き活きと人生を送ってください^^
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